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福岡地方裁判所 昭和46年(ワ)156号 判決 1971年3月19日

原告 槇モモヱ

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 野林豊治

被告 重富元利

右訴訟代理人弁護士 辻丸勇次

被告 内藤健二

右訴訟代理人弁護士 徳永賢一

右訴訟復代理人弁護士 川口嘉弘

主文

一  被告らは各自原告槇モモヱに対し金二、八二〇、四九三円、原告槇國美に対し金三〇〇、〇〇〇円、原告槇テイに対し金四〇四、七七一円、原告槇芳行に対し金二、四〇四、三八五円および右各金員に対する昭和四〇年一一月四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを八分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決の第一項は、仮りに執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一  事故の発生

原告ら主張の日時場所において被告内藤運転の普通貨物自動車(福四に五四五七)と訴外義信運転の原動機付自転車とが衝突し、訴外義信と同乗していた訴外恵美子が死亡し、同乗していた原告テイが原告ら主張の傷害を負ったことは当事者間に争いがない。

二  責任

1  被告内藤

≪証拠省略≫を綜合すると、本件事故現場附近は幅員七・三メートルのアスファルト舗装された国道(二〇二号線)で中央線は白線で明示されており見通しの良いところであること、被告内藤は前日夕刻ブレーキ系統の故障で預り保管中の本件自動車を未だ修理が完了しないまま運転し、時速八〇ないし九〇キロメートルの速度で進行中本件事故地点手前で前方から対向してくる訴外義信運転の原動機付自転車を認めたのであるが、その前から本件自動車の前輪がやや右に振れるのを感じていたこともあって、危険を避けるため速度を減じようとしてブレーキを踏んだところ、急ブレーキのような状態となってスリップし右に約九〇度位方向が変ったまま対向車両の進行部分に進入して前記原付と衝突するに至り、さらにスリップを続けて方向も一八〇度近く転回して漸く停止したことを認めることができる。≪証拠省略≫中時速度七〇キロメートル程度という部分は≪証拠省略≫によって認められる前認定のような本件自動車の曲ったスリップ痕跡が事故直後五七メートルに亘って見分されたことと対比するときそのまま採用するわけにはいかない。また≪証拠省略≫中前記原付が中央線を超えて同被告の進路前方を対向して進行してきた旨の記載部分も≪証拠省略≫の記載に照し採用できない。

右事実からすると、本件事故は同被告が機能の十分でない本件自動車を高速で運転し、それを考慮せずに制動をかけた結果というべく、この点において同被告の過失は明らかであるから、同被告は不法行為者として本件事故による損害を賠償しなければならない。

2  被告重富

同被告が自動車修理業を営み、本件自動車を預り保管中であったこと、被告内藤がその従業員であったことは当事者間に争いがない。≪証拠省略≫を綜合すると、被告内藤は本件事故から約一ヶ月位前に被告重富の経営する重元モータースに雇われ、採用後六ヶ月間は試用期間とされているが、住込稼働中本件事故当日勤務の始まるまでの間修理のため保管中の本件自動車を無断で持ち出し運転したことを認めることができる。≪証拠省略≫のうち預り保管中の自動車の鍵は同被告の机に蔵っている旨の部分は不断の状態がそうであったとしても本件当日もまたそうであったかどうか必ずしも明らかでない。

ところで、一般に、自動車修理業者が修理のため自動車を預った場合には、少くとも修理や試運転に必要な範囲での運転行為を委ねられ、営業上自己の支配下に置いているものと解すべきであり、かつ、その被用者によって右保管中の車が運転された場合には、その運行は、特段の事情の認められない限り、客観的には使用者たる修理業者の右支配関係に基づき、その者のためにされたものと認めるのが相当である(最高裁昭和四四年(オ)第四五六号事件同年九月一二日第二小法廷判決参照)。本件における被告内藤が修理工であったか整備資格を有しないので修理工見習に過ぎなかったかはともかくそのいずれであったにせよ、また同被告が試用期間中であったことも、そのことは右判断の妨げにはならない。そして、前認定のような同被告の私用のため時間外の無断運転行為はここにいう特段の事情にあたらないというべきである。そうすると、被告重富は自動車損害賠償保障法第三条にいう運行供用者として本件事故による損害を賠償しなければならない。

三  損害

1  亡義信の逸失利益

≪証拠省略≫を綜合すると、亡義信は農業を営んでいたが、田一町五反二畝、畑は昭和三九年三反七畝、翌四〇年八反二畝を耕作し、乳牛五頭仔牛一頭を飼っていたこと、そして、亡義信のほか妻たる原告モモヱ、父たる原告國美、母たる原告テイがいて、田畑の所有名義や農協へ届けている耕作名義は原告國美であるが、同原告が当時すでに五五、六歳になっていたので、亡義信(昭和一二年九月一一日生)が中心になって農耕のほか酪農をも営んでいたこと、昭和三九年の産米約一一四俵のうち七五俵を供出して代金四四二、六〇〇円を得、翌四〇年には産米一一六俵のうち七五俵を供出(代金四七二、七二〇円)、そのほか小麦やビール麦三二俵を代金八六、二五二円で売却し、また昭和三九年には出乳代金六三〇、六九九円のうち飼料その他の代金三八八、五四一円を差し引いた金二四二、一五八円を、翌四〇年一月から同年一〇月までの間に出乳代金六二八、九五六円のうち飼料その他の代金三五五、九七六円を差し引いた金二七二、九八〇円を糸島地方酪農協から受け取っていること、昭和四一年一月農林省福岡統計調査事務所の資料によると、亡義信の農業にもっとも近似する志摩町では米は反収四〇七キログラム(昭和三九年度は四二六キログラム)であり、福岡地区農業所得税対策委員会と農協中央会福岡支所の作成したモデル町所得標準として志摩町では米の反収四二〇キログラム(昭和三九年四三八キログラム)、収入金四三、六七五円、必要経費金一〇、八三二円を差し引くと金三二、八四三円、普通畑では小麦、裸麦、豆類、野菜等で反当金三五、六三五円から必要経費を差し引くと金二五、三九一円であること、元岡農協から購入した稲作裏作肥料農薬等が昭和三九年金七四、一九四円、昭和四〇年金六〇、一九五円昭和四一年金九九、四七五円であったことが認められる。

右事実によれば、亡義信らの農業酪農所得は必要経費を差し引いて一ヶ年五〇〇、〇〇〇円程度の純収入があったものと見るのが相当である。そして、その家族構成から考えて亡義信の寄与率は六〇パーセントと見るのが相当である。≪証拠省略≫中原告國美が老令でもあり、農耕や酪農は殆んど義信が一人でしていたかの如き部分があるけれども、全家族を挙げて従事する農耕の形態から考えても右部分をそのまま採用するわけにはいかないし、また原告らは一方において亡義信の就労可能期間として原告國美の現年令を遙かに超える期間を主張していて、両者の撞着は避けがたいものがある。そこで、亡義信が死亡時二八歳の男子なので、第一〇回生命表によれば同年令の男子の平均余命が四一・四七年であること明らかであるから、同人が本件事故に遭わなければ、さらに三七年間就労し得たものと考えられる。さらに、同人の生活費として年間金一二〇、〇〇〇円程度を要するものと考えられるので、これを年五分の割合による中間利息を控除した現在価額を年別ホフマン式計算法によって求めると、金三、七一二、五八四円となる。

180,000円×20・62547115(37年のホフマン係数)=3,712,584円

2  亡恵美子の逸失利益

≪証拠省略≫によれば、亡恵美子は昭和三八年九月二二日生の女子であることが認められるので、死亡時二歳であるから、第一〇回生命表によれば同年令の女子の平均余命が六八・七〇年であること明らかである。そこで、一八歳から六三歳まで稼働することができたと考えられるので、≪証拠省略≫によれば、労働省労働統計調査部編労働統計要覧の昭和四〇年製造業企業規模一〇人以上の労職、性、学歴および年令階級別(きまって支給する現金給与額)賃金として、女子生産労働者の平均月収金一五、八〇〇円であることが認められるので、年収一八九、六〇〇円をあげることができたと見るべきである。そして、生活費としてはその五〇パーセントを超えないものと考えられるので、これを控除し、年五分の割合による中間利息を控除した現在価額を年別ホフマン式計算法によって求めると金一、五二二、九九一円になる。

94,800円×〔27・60170602(61年のホフマン係数)-11・53639079(16年のホフマン係数)〕=1,522,991年

3  原告テイの治療費

同原告がその主張のような傷害を負ったことは当事者間に争いなく、≪証拠省略≫を綜合すると、同原告が事故後有田病院に入院して治療を受け昭和四一年二月一六日退院し、同年四月まで通院したものの、右股関節の運動制限の後遺障害(労災保険一〇級該当の診断)があり腰の屈曲や歩行に不自由していること、有田病院の治療費として金一七二、九七五円を要したことが認められるので、右治療費は同原告の損害ということができる。

4  慰藉料

原告モモヱが亡義信の妻であって、亡恵美子の母であること、原告國美が亡義信の父、原告テイが母であること、原告芳行が本件当時亡義信と原告モモヱの夫婦間の胎児で、昭和四一年二月二八日出生したことは当事者間に争いがない。そして、原告テイが自らの受傷によるほか、さらに原告らが民法第七一一条に定める近親者として義信、恵美子の死亡により苦痛を受けたことも明らかである。そこで、本件に現われた事情を斟酌して、原告モモヱは夫の死亡による慰藉料として金五〇〇、〇〇〇円、子の死亡による慰藉料として金一、五〇〇、〇〇〇円、原告國美、同テイは子の死亡による慰藉料としてそれぞれ金三〇〇、〇〇〇円、原告テイは自らの受傷による慰藉料として金四〇〇、〇〇〇円、原告芳行は父の死亡による慰藉料として金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当であると考える。

四  過失相殺

亡義信が本件事故時後部荷台に原告テイを乗車させ、自転車の前部に座蒲団を置いて亡恵美子を同乗させていたことは当事者間に争いがない。≪証拠省略≫を綜合すると、亡義信運転の自転車は排気量〇・〇九リットルで後部荷台には原告テイが進行方向に向って右の方から横向きに坐っていたことが認められるので、旧第二種原動機付自転車として後部荷台に乗車したことをもって直ちに同原告らの過失ということはできないけれども、いわゆる横乗りや、乗車設備のないところに乗車させ、結局三人も乗車していたことは前示本件事故態様の事実と併せ考えるとき、同原告らの損害を大きくした一因たることを否定することはできない。従って、前記損害1ないし3についてはその二〇パーセントを減ずべきものと解するのが相当である。(亡義信の逸失利益金二、九七〇、〇六七円、亡恵美子の逸失利益金一、二一八、三九二円、原告テイの治療費金一三八、三八〇円となる。)

五  損害填補

1  義信および恵美子の死亡について政府から自賠法に基きそれぞれ金九八一、七九〇円が支払われ、同人らの逸失利益に充当されたことは当事者間に争いがない。(亡義信のそれは金一、九八八、二七七円、亡恵美子のそれは金二三六、六〇二円)

2  また、原告テイにも同様に合計金四三三、六〇九円支払われたことは当事者間に争いがないので、これを同原告の前記損害から控除することとなる。

六  相続

亡恵美子が死亡し、次いで亡義信が死亡したことは当事者間に争いなく、原告モモエが亡義信の妻であって、亡恵美子の母であること、原告芳行が本件事故当時亡義信と原告モモヱの夫婦間の胎児であり、昭和四一年二月二八日出生したことは前示のとおりであるから、亡義信の逸失利益については原告モモヱがその三分の一たる金六六二、七五九円を、原告芳行がその三分の二たる金一、三二五、五一八円を、また亡恵美子の逸失利益については原告モモヱがその三分の二たる金一五七、七三四円を、原告芳行がその三分の一たる金七八、八六七円をそれぞれ相続したことになる。

七  結論

以上のとおりであるから、被告らは各自原告モモヱに対し金二、八二〇、四九三円、原告國美に対し金三〇〇、〇〇〇円、原告テイに対し金四〇四、七七一円、原告芳行に対し金二、四〇四、三八五円と右各金員に対する本件事故の後たる昭和四〇年一一月四日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるから正当としてこれを認容すべきであるが、その余は理由がないので失当として棄却すべきである。よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを附さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

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